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フェイクニュースと新聞の徒然



ネットからの情報がユーチューブの浸透でそれを介して、フェイクニュースや新聞騒動。

報道の信ぴょう性がある意味、暴露された感のある、若年層から広がった昨今の世間の話題。

たとえユーチューブに色眼鏡が作用していたとしても、ネットの情報拡散はピアツーピアだから、色眼鏡をかけてみた情報と断定するのは、中々難しそう・・・。

しかも、時短で大量の情報が垂れ流されるのがネットの情報だし、清濁併せ呑まれてもいるし・・・。

ググるのが調べ物には最短な時代だし・・・。なので、グーグルが情報操作していたらフェイクも可能だけれど、そうなったらグーグル自体が他の検索エンジンに取って代わられるから、考えにくいし・・・。

ネットの拡散はお隣の大国も、国家体制でカーテンで覆っても一部にアリの一穴、いつかはその操作もムリゲーに・・・?

体制を維持するというのは、ナウシカの巨神兵の様に不安定・・・?

計画経済とか言われていた昭和な時代のカーテンの向こう側に、あの当時は神秘を感じていたものでした。

何しろ義務教育の歴史でお勉強した世界文明発祥の地だったし・・・。

今ではその古代文明的発想も、怪しい考え方・・・?

本当に情報操作は怖ろしい。子どもの頃は嘘つきは泥棒の始まりなどと、親から口癖のように諭されたものです。子ども同士でドロボー ドロボーと揶揄する事も、戒められたリ・・・・。

泥棒はシッカリ犯罪、法的には賞罰の対象。

子どものドロボーは可愛いモノ。大人の泥棒はシッカリ犯罪。

黒白にやかまし人なら、許せない行為。

フェイクも時には良薬にはなる場合もあるから、絶対犯罪とは言えないけれど、要は騙そうとする意思の有無とか我欲とかが問題。

全うに育った一人間 ・一個人なら、その辺りのさじ加減は世間のその時の多数決的判断が、作用して偏差的にもその誤差はそんなに差がないモノ。

いわゆる広い意味での常識。

単純に考えて、今なおフェイクを垂れ流すのなら、それは確信犯に限りなく近い・・・?

言葉や文章には行間を読まなければならない、遊び・クリアランスはあるけれど、その時のその場所の多数の見解はどうやら、それに従わないと時として異端扱い、善悪の悪のカテに・・・。

ヤッパリ、アカンやろそれってなどと言われるでしょう。

個人的フェイクと組織的なフェイクには明らかに世間に及ぼす影響が違うのは、誰の目にも明らか。

慣性の法則は質量と加速度で大変だろうけれど、大衆に報せてくれるのが生業のニュースや新聞なら、フェイクからは離れて欲しいモノです。

このままだと周の幽王、亡国の王様、オオカミ少年になり兼ねない・・・?