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客観性と主観性の主観の件

お地蔵さん640×480.jpg


世の中には客観的な歴史観を厭う国がある様です。歴史を捏造して、教育している国があるみたいです。

理性より、真実より情緒が教育でも大切なのか、歴史を捏造して子どもたちを教育する。

理科系に情緒や主観性は通用しない。数字や物理現象には客観的で理性的な考えで臨まないと先へは進めない。

自動車も前に進めないし、電化製品もうまく作動しないし、飛行機も飛ばせない。

学問は客観的でないと、理性的でないと成り立たない。 自国のアーカイブに理性的で客観的に対応しないと事実は変わるでしょう?そう思うのです。

人の営みで国家が生まれるけれど、その場その時の風土や気候がその地に住む人々に影響を及ぼして国が生まれるのは一つの事実がある限り、歴史には考古学的な真実の追及や、発掘されたモノへの判断には理性と客観性がないと、事実とは乖離してカオスからは抜け出せない。

そんな事を考えていると主観性には、厭う気持ちに追従の余地がある。 客観性はすでに二項対立というか彼我(ひが)の関係、複数の発想が成り立たないと成立しないから、厭う気持ちよりも真実や事実が優先する・・・。

少なくとも第三者的に傍観すればそんな発想もある・・・?

ガリレオもケプラーもニュートンも徹底的に、客観性と理性で成果を上げて歴史に名を残した。

主観を吐露して名を成したのは、神様だけ・・・? それ以外許されているのは、宇宙の法則・・・?

極めて主観的な、客観性と主観性の件m(_ _)m